paul mccartney
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November 17 OSAKA |
(チケット) 7月29日、拙サイトに相互リンクしてもらっている方に「ポール来日の朗報を心待ちにしております。」とメールを出した。その一週間後、ポール来日のニュースが飛び込む。それから2〜3日して、ザ・ビートルズ・クラブからポール日本公演チケットの先行受付案内が来る。東京ドームと大阪ドームのみで、今回は福岡ドームはなかった。S席14000円。チケット代と大阪までの新幹線代で5万円という数字が頭をよぎる。福岡なら即買いだったが、大阪だったので、「これが最後かもしれないし、しかし、5万円は痛いし。う〜ん、どうしよう。」と一週間悶々としていた。8月13日、中学校の同窓会に出席。そこで、O君に会い、一緒に行くことにする。翌日、11月17日(日)の大阪ドームを申し込む。 10月上旬にチケットが送られてくる。13列の53番と54番。9年前の福岡ドーム公演は、56列131番だった。このときは、アリーナ真ん中よりやや後ろで、全員総立ちのため、ほとんど生のポールが見えなかった。今度は13列目だ。ラッキー! 今度はよく見えるぞ。しかし、前回のチケットは 8000円(すべてS席)だったが、今回のチケットは14000円である。この差は一体どうしたことだ。 (前日) コンサートの前日、NHK(BS)の「今週の主役」でポールのインタビューをやっていた。11日に録画したものらしい。番組を見ながら、「明日の今頃は、ポールと同じ空気を吸っているのだ。」と思う。バッグに双眼鏡、カメラ、着替えを入れ、「ドライヴィング・レイン」と「フレイミング・パイ」を通して聴く。東京ドームのセット・リストに2,3曲の入れ替えがあることを祈りながら・・。(なぜか「カリコ・スカイズ」「アナザー・デイ」「ジュニアズ・ファーム」が頭に浮かぶ。) (大阪) ひかり100号で11時29分、新大阪駅に到着。昨年、会社の慰安旅行でユニバーサル・スタジオ・ジャパンに来て以来、ちょうど1年ぶりである。あの時は、まさか1年後にポールのコンサートで大阪に来るとは夢にも思わなかった。 お好み焼き(大阪なのに広島風、広島風なのにもやしが入っていない変なお好み焼き)を食べ、予定どおり「まんだらけ」で時間をつぶす。その後、中古CD店で、前から探していた芹洋子の「初恋のデッサン」の入ったCDを見つける。980円だった。 そして、9年前の福岡ドームのときの経験から、3時間立ちっぱなしになることが分かっていたので、足を休めておこうと思ってホテルに向かう。しかし、電気設備の定期点検作業により停電であった。4時までホテルに入れず。仕方なく喫茶店に行き、コーヒーを飲む。情報があれば、ポールの追っかけでもするところだったが、事前情報を入手していない。「腹ごしらえに、たこ焼きでも食べよう。」と言うと、O君が「自分で作るたこ焼き屋がある。」というのでそこで時間をつぶす。紅ショウガを入れすぎて、たこ焼きが真っ赤になる。 (ドームに) 4時過ぎにたこ焼き屋を出て、ドームに向かう。地下鉄御堂筋線梅田駅から心斎橋駅、心斎橋駅で長堀鶴見緑地線に乗り換え、大阪ドーム前千代崎へ。4時半頃ドームに到着。ドームの回りはすでに多くの人でごった返していた。大勢の人が並んで何かもらっていた。ある放送局が無料でポールのステッカーを配っていたようである。並ぶと足が疲れると思い、素通りして入場口の6番ゲートに向かう。記念にドームの写真を2,3枚撮っておく。 (入場) 5時にバッグのチェック(バッグを開けただけ)を受け、会場に入る。係員が双眼鏡を指して、「これはカメラですか。」と聞く。「見れば分かるのに・・」と思ったが、穏やかに「双眼鏡です。」と答える。トイレに行った後、若い女性の警備員に席まで案内してもらう。前から13列目、ステージの中央が、右手前に見える位置であった。これは、これまで行った数々のコンサートの中でも最高の位置である。席についてすぐに観光気分になり、思わず場内の写真を撮ろうとしてしまったが、コンサート会場だということを思い出してやめる。 (開演前) 場内は、うすく靄がかかっていたようになっていた。沖縄民謡調の曲が場内に流れる。元ちとせだろうなあ、とぼんやり聴いている。よく聴くと「オーバー・ザ・レインボウ(虹の彼方に)」である。三菱の新車コルトのコマーシャルがスクリーンに映し出されていた。繰り返し繰り返しこの曲が流れる。おかげで、この曲を聴くと、この日のコンサート会場にいるような錯覚に陥るようになってしまった。時計は5時40分を指している。念のためもう一度トイレに行く。6時になっても始まらないのでもう一度行っておこうかと思ったが、もう、いつ始まるかわからないのでやめておく。 (プレ・ショー) 6時から6時15分まで、プレ・ショーが始まる前は、4万人の期待と興奮が渦巻く何とも言えない雰囲気であった。みんながポールの登場を待ちわびている。たまらんなあこの雰囲気。一生忘れないでおこう。 6時10分頃、場内が騒然とする。なぜかみんなが立ち上がり、後ろ(アリーナ中央あたり)を振り返る。「ポールか!」と思ったが間違い。「プレ・ショーがあるから、ポールはまだ出て来ないはずだが?」 しばらくして、テンポの早い音楽が流れ始める。「おっ!ついにプレ・ショー[ポールが見た夢]が始まったか?」と思う。 女性のスキャットの入るこの曲が2分くらい続き、突然、馬のいななき、馬の足音、法螺貝の音で曲が止む。そして、シタールの音。インド風の音楽が1分半くらい流れ、アリーナ中央あたりから(どこから出てきたのかよく見えなかった。) いろいろな衣装を着た人物や大きな風船が出てくる。傘を差したモーニングを着た紳士が印象的であった。(ポールは、1973年のテレビ・ショー「ジェームス・ポール・マッカートニー」での「ゴッタ・シング・ゴッタ・ダンス」や「グッドナイト・トゥナイト」のプロモなどでもモーニングを着て歌っている。このスタイルがきっと好きなんだろうな。) 次に「ラッシズ」(ザ・ファイアーマン名義のポールのアルバム)からwatercolour guitarsが流れる。4分半くらい。ポールの「デュッデュッデュッデュ〜ワ」というスキャット、手拍子が被さる。シタールの音と手拍子が続く。幻想的な雰囲気。また、ポールの「デュッデュッデュッデュ〜ワ」というスキャット。3分半後、ギターの重いデケデケという音、watercolour guitars、手拍子などが重なる。これがまた約3分半続いて、急にテンポがゆっくりになる。中国の刀剣舞踊、シタールの音、ブワーンという音が続く。これが約2分。ブワーンという音に被さって機関車の音を表したような音楽が始まる。だんだんテンポが速くなる。約1分。そして、ついに「ジャーン!」というギターの大音響とともに、ヘフナーとポールの大きなシルエットがステージのスクリーンに浮かぶ。2回目、3回目の「ジャーン」という音。ドラムが30秒くらい続いて、ポールが登場。「You say yes, I say no」と歌い出す。プレ・ショーの最初からここまで約19分。「プレ・ショー〜ジャ〜ンというギターの音〜ハロー・グッドバイ」と続く構成は心にくいばかりである。 プレ・ショーであるから評価の対象外であるが、私としてはコンサート同様、本当に素晴らしい前座であったと思う。幻想的な雰囲気はさることながら、特に音楽がよかった。ポールの書き下ろしらしいが、アップ・テンポからスロー・テンポへ、突然、曲調が変わって人をハッとさせ、そこで「ポール登場か?」と思わせる演出は見事である。ポールはこういう音楽を作らせたら最高! 「ストロベリーズ・オーシャンズ・シップス・フォレスト」「ラッシズ」「リバプール・サウンド・コラージュ」などを聴くと、ポールの頭の中にぎっしりと詰まっている音楽の一部を垣間見るようである。ドライヴィング・ジャパン初日にあわせて発売された2枚組のライヴ盤「バック・イン・ザ・U.S.」は、ジャ〜ンというギターの音の部分から始まっており、プレ・ショーの音楽は収録されていない。誠に残念である。再発盤には、ぜひともボーナス・トラックに加えてほしいものである。 (開演) 「今日だけ特別にJunior's Farmで開演したらみんなびっくりするだろうなあ・・」といった楽しい空想に耽りながらプレ・ショーを見ていた。しかし、やはり1曲目は「ハロー・グッドバイ」であった。「ハロー・グッドバイ」が、これまでのコンサートで演奏されなかったのは驚きである。ポールの名曲中の名曲。「ハロー・グッドバイ / アイ・アム・ザ・ウォルラス」のシングル・レコードは、昔、蓄音器でよく聴いたものだ。レコードは、Hello,Helloの繰り返しで終わるが、今回のライヴでは、ポールは、Hello,Helloの繰り返しのあと、最後に、I don't know why you say goodbye I say helloと歌っている。 続いて「ジェット」である。「ジェット」を聴いてまず驚く。9年前と音が違う。声も違う。素晴らしい。「今日のポールはすごくのっているぞ!」と感じる。「ジェット」が終わって、「お〜さ・か〜」「もう・かり・まっか?」「みんな・元気・か〜い?」と日本語の三連発。そして、「オール・マイ・ラヴィング」を歌い始める。「ども・ありがと〜」の後、ポールが、これから、自分のおしゃべりを同時通訳でバック・スクリーンに文字で映し出すことを説明。日本人にとっては、とても嬉しいことである。「す・こ・し・待・て」と言って「ゲティング・ベター」が始まる。(「少し待て」というのは「少し待ってネ」の言い間違いだと思ったが、本当は、「今年までライヴで演奏したことがなかった。」というポールの英語の最後の部分「・・・until this year」を日本語で「こ・と・し・ま・で」と反復したようである。日本語では普通「これまで」というべきところ。) その後、「カミング・アップ」「レット・ミー・ロール・イット」と続く。 「まいど〜」「おっさか〜」「これは・あたらしい・きょく」と言ってニュー・アルバムから「ロンリー・ロード」と「ドライヴィング・レイン」を演奏。それから、ドラマーのエイブ・ラボリエル・ジュニアを紹介。次に、ポールが「これは素敵なヘザーの歌です。」「うちの・奥さん」と言って「ユア・ラヴィング・フレイム」を歌い始める。そして、「おっきに」「じんけん・もんだ〜い(人権問題)」と言って「ブラック・バード」の弾き語り。その後、「エヴリ・ナイト」「恋を抱きしめよう」「ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー〜キャリー・ザット・ウエイト」「フール・オン・ザ・ヒル」と続く。 今回のツアーで話題となっているジョンとジョージの追悼コーナーは、「ヒア・トゥデイ」を「ジョンと僕のたい・わ(対話)」、「サムシング」を「ジョージの追悼・で〜す。」と言って歌い始める。「エリナー・リグビー」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」の後、「Ooo Thank You あり・が・とう OK ・・・special song this evening・・・」とポールが言う。「おっ!まさか」と思う。ここで、大阪公演のみのスペシャル・ソングとして「カリコ・スカイズ」が演奏される。昨日の晩に「フレイミング・パイ」を聴きながら願ったとおりになった。大感動の大歓声で盛り上がる。次に、「おっきに〜」「フランス・に・いこーかー」と言って「ミッシェル」を歌う。「バンド・オン・ザ・ラン」「バック・イン・ザ・USSR」と続き、ギタリストのラスティ・アンダーソンの紹介。ラスティが簡単な挨拶の後、「記念にみなさんの写真を撮らせて」と言って一枚写真を撮った。演奏は、「メイビー・アイム・アメイズド」「幸せのノック」と続く。 「かれは(「これは」の言い間違い)、(言い直して)これは・リンダに・捧げる・歌です。」と言って「マイ・ラヴ」。次にキーボードのポール・ウィックス・ウィッケンズの紹介。それから、とても美しい「シーズ・リーヴィング・ホーム」。「ど〜も、ありがと〜」。「キャント・バイ・ミー・ラヴ」。この後、ギター、ベースのブライアン・レイを紹介し、「死ぬのは奴らだ」。分かってはいたが、爆発音にびっくり。「レット・イット・ビー」の後、「いっしょに・うたいま・しょ」と言って「ヘイ・ジュード」の大合唱となる。 アンコールに入って「ロング・アンド・ワインディング・ロード」。「おっきに〜」「まだ・元気かい?」と言って「レディ・マドンナ」。「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」で最初のアンコールが終わる。しばらくしてポールが三たび登場。「おっきにー」「みなは・すばらしい」「おっさか〜」と言って「イエスタディ」を始める。「ぼくの・すばらしい・バンドー」と言って最後の「サージェント〜ジ・エンド」を大熱演。「まいど、おーさかー」「じゃっまた・ね」の後に、もう一度、「 じゃっ、また・ね〜」と言ってポールはステージから消えた。(ポールが立ち去るとき、すごい量の紙吹雪が場内を舞う。) 前回のツアーと同じ曲は、「ジェット」「オール・マイ・ラヴィング」「カミング・アップ」「レット・ミー・ロール・イット」「死ぬのは奴らだ」など18曲。まだ、ポールがステージで披露したことのない曲はたくさんあり、他に聴きたい曲が山ほどあるので、もう少し曲を入れ替えたらどうかとも思ったが、実際に演奏を聴いてみて、今回のセット・リストは、なるほど、とうなずける選曲、曲順であった。 今回のツアーでは、「ジェット」「レット・ミー・ロール・イット」「バンド・オン・ザ・ラン」「メイビー・アイム・アメイズド」などコンサートの定番ナンバーも過去最高の出来であったように思う。「死ぬのは奴らだ」や「幸せのノック」もウイングスの時より迫力ある演奏だった。「ロンリー・ロード」も太い声がよく出ていた。この調子では、「スマイル・アウェイ」や「ヘルター・スケルター」なども難なく声が出るのではないかと思ったくらいである。「ロンリー・ロード」を初め、最新アルバム「ドライヴィング・レイン」からの他の2曲も実に良かった。(昨年発売された「ドライヴィング・レイン」は、聴けば聴くほど味が出ます。今では「フレイミング・パイ」よりも好きになってしまいました。まだ聴いていない方はぜひ買って聴いてみましょう。) ジョンの追悼曲「ヒア・トゥデイ」は、ポールの曲の中では、あまり好きな方ではなかったが、この日、生で聴いて見直した。ジョンの追悼としては、90年のリバプール公演で、「ストロベリー・フィールズ〜ヘルプ〜ギヴ・ピース・ア・チャンス」のジョンの曲メドレーをやっていたが、今回は自分の曲をジョンに捧げた。前回のツアーでは、ポールのドラミングを見ることができたが、今回はジョージの追悼曲「サムシング」でウクレレを披露してくれた。「サムシング」の後に、「せっかくウクレレを持っているのだから、ついでにRam Onをやって!」と祈った人は多かったのではないだろうか。大阪ドームで初登場となった「カリコ・スカイズ」は、この曲を熱唱するポールの姿が忘れられない。もう一度、見たい!聴きたい!(音は海賊盤で聴けます。) 「バンド・オン・ザ・ラン」がまたすごかった。高校2年の時大ヒットしたあの曲を、今、すぐ目の前でポールが本当に演奏しているのだと思うと感無量であった。(福岡ドームの時は、よく見えなかったもんなあ。) 「幸せのノック」は、アルバム「スピード・オブ・サウンド」からの唯一の曲。このアルバムを買ったのは、大学2年の時で、下宿を移った頃だったなあ、と思いつつ聴いていた。しかし、Silly Love Songsも聴きたかった。この曲は、リンダが亡くなってしまったので、How can I tell you about my loved oneのコーラス部分が聴けないんだなあ。「シーズ・リーヴィング・ホーム」の演奏中はサージェント・ペパーのLPを聴いているのではないか、と思ったくらいで、ラスティとブライアンがコーラス部分でジョンの代わりをよく努めていた。うだうだ書いてしまったが、とにかく、「ヒア・トゥデイ」から「シーズ・リーヴィング・ホーム」までの12曲は、本当に夢を見ているような気持ちにさせられた。 今回、何に一番感動したかというと、演奏はもちろんのこと、ポールが観客のことを第一に考えていたということである。60歳という年齢で(身近な60歳の人を想像してみるとよい。)2時間半もシャウトし続けるというのは、大変なことだと思う。見ている方も立ちっぱなしであったが、演奏するポールはもっと大変だろうと思う。ポールほどのスーパースターになると、少しくらい手抜きをしても大目に見てもらえるのに、ポールの性格は、それを許さないのだろう。 3時間立ちっぱなしであったが、あっという間であった。今考えれば、双眼鏡でポールの姿ばかり追っていたような気がする。前から13列目ということもあり、双眼鏡を使うとポールの表情までしっかり見えた。しかし、もっと全体を見ておくべきであったとも思った。まあ、しかし、それは、DVDも発売されることだし、この日本ツアーだけの映像作品も予定されているとのことであるから、それを見ればすむことである。この日も、日本ツアーの映像用だと思うが、すぐ目の前で、外人のカメラマンが手持ちカメラで観客の様子をかなりしつこく追っていた。完成が楽しみである。 最後にたわい無い感想を一つ。ポールが「サムシング」を歌うと、「ポールがジョージの曲を歌う」、ポールが「ヘルプ」を歌うと「ポールがジョンの曲を演奏」と言われるのに、ポールが「ハロー・グッドバイ」や「レット・イット・ビー」を歌うと、なぜ、「ポールがビートルズの曲を歌う」ということになるのか。これは、おかしいのではないか。また、CD「バック・イン・ザ・US」の帯にも、「ポールがザ・ビートルズを再現!!」と書いてある。ビートルズとしてコンサートでやった曲は、「オール・マイ・ラヴィング」「恋を抱きしめよう」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「イエスタディ(いつも、他の3人は引っ込んでいた。)」の4曲(実質的には3曲)しかないのに。レノン=マッカートニーとクレジットされている曲のうち、分けられるものは早急に、マッカートニーとレノンに区別すべきであろう。(イエスタディなどは、小野洋子が要求に応じないらしい。) (地下鉄大混雑) 混雑防止のため、規制退場とされる。ドームを出るのに20分くらい席で待つ。グッズ売り場はかなり混雑していたが、少し待って、ツアー・プログラムを買う。地下鉄がまた大混雑であった。安全ラインを越えて人が並んでいる。後ろから誰かが押したら、すぐ線路に落ちる状態。「大丈夫かいな?」と後方を警戒しながら電車を待つ。電車の中はギューギュー詰め。ホテルに着いたのが10時45分頃だった。時間があれば、O君と「キャバーン・クラブ」に行く予定であったが、遅いのでやめる。当初の計画では、コンサートが6時開演だから、2時間半で終了するとして、9時半の「のぞみ」に乗れば、その日のうちに帰れる、と算段していたのだが、甘かった。日本公演初日の様子から、コンサートが3時間近くあることを知り、あっさり泊まることにした。夕食をすましていなかったので、近くの「ラーメン四天王 お初天神通り店」で、四天王ラーメンと餃子、生ビールを注文する。 (もうかりマッカートニー) 翌日、大阪駅でスポーツ紙をチェック。「もうかりマッカートニー〜関西初公演、大阪弁で開幕〜」「まいどっ!10回、おおきにっ!11回」という見出し。思わず、苦笑する。大阪弁の多用がさっそく話題に。「カリコ・スカイズ」のこともしっかり書いてあり、嬉しくなる。 60歳のポールが、一回り以上も年下の私を、中・高校生のような気分にさせてくれた一日でした。Thank you Paul ! また、来てね。 (夢のセット・リスト) しばらく、コンサートの興奮から冷めませんでしたが、最近、ようやく落ち着きを取り戻してきました。そこで、「夢のセット・リスト」を作ってみました。これまで幾度も演奏されている曲は極力はずし、また、ビートルズの曲もなるべくはずしています。まだコンサートでやったことがないと思われる曲で好きな曲を中心に、しかも、コンサート向きの曲を選んだつもりです。皆さんも同じことをして、ポールのまたの来日を祈りましょう。もし、その時、ポールが 64歳を越えていたら、椅子に座って演奏できる「アンプラグド・ショー」にしてあげましょう。 長くなりましたが、最後まで読んでくださった方に感謝します。 |
(コンサートからちょうど2週間目の日曜日に 2002.12.1 記) |
「2002年11月17日セット・リスト」
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「夢のセット・リスト」
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ビートルズの曲は、最小限の4曲。 長い曲が多い? これだとプレ・ショーなしでも3時間は優にかかりそう。 これは「ポールの見た夢」ではなく、「わたしの見た夢」です。 こんなものを何種類も作ってポールが再び来ることを祈っています。 参考までに、9年前の福岡ドーム セット・リストは、 ビートルズ海賊盤その10(ポール・マッカートニーその4)を見てください。 |
−古い漫画のレコードなど−