巨人の星

梶原 一騎 原作
川崎 のぼる 画



発行日 昭和43年4月18日
朝日新聞社 朝日ソノラマ
A面:ゆけゆけ飛雄馬
    友情の虹
B面:ドラマ「死のノックアウト打法」
   
ゆけゆけ飛雄馬
 作詞 東京ムービー企画部
 作曲 渡辺 岳夫
  うた アンサンブル・ボッカ
友情の虹
 作詞 東京ムービー企画部
 作曲 渡辺 岳夫
  うた ジ・エコーズ
定価 300円



 







週刊少年マガジンに昭和41年から5年間連載、テレビでは昭和43年から3年半にわたって放送されました。「巨人の星」が少年マガジン誌上に登場した昭和41年は、川崎のぼるは、少年サンデーに「死神博士」「タイガー66」を連載していました。翌昭和42年には、「タイガー66」のあとに「アニマル1」が始まっています。「死神博士」「タイガー66」の頃から川崎漫画のファンになりました。

「巨人の星」という漫画を意識し始めたのは、下のバック転のシーンの当たりからです。飛雄馬が花形の「死のノックアウト打法」を破るシーンです。これは、父星一徹の猛特訓(ガソリンをかけ火をつけた打球を捕球もせず、からだにもふれずにアウトにする特訓)の成果です。漫画では、このバック転のシーンは昭和33年のエピソードになっています。飛雄馬が青雲高校に入学したのは昭和41年です。ということは、このとき飛雄馬は小学2年生ということになります。そうすると、うしろに見える年上の花形は、甲子園で飛雄馬と対決したことから飛雄馬よりも1才か2才上、すなわち、小学3年生か4年生という事になります。なんか変ですね。せいぜい、飛雄馬が小学6年、花形が中2くらいでないと・・・。「死のノックアウト打法」というのはちょっと大げさですね。

このシート本にはミスプリがあります。シート・レコードのお話では、飛雄馬が花形に向かって、「おれはきみみたいなやつをみるとむかむかしてくるんだ!!」と言いますが、シート本の漫画の吹き出しは、花形が飛雄馬に向かって言ったようになっています。原このシーンの飛雄馬は、まだ小学校です。作漫画で確認すると、飛雄馬が花形に向かって言うのが正しく、セリフは「手ごわい相手を見るとむらむらとしてくる・・・」です。

テレビの「巨人の星」は、飛雄馬が大リーグボール1号を完成したあたりから、盛り上がりのシーンは必ず2〜3回に分けて放送されていました。いいところでいつも「つづく」になり、イライラさせられたものです。漫画家が描く週刊誌一週分のページは15頁前後でしたので、テレビの進行がすぐに原作漫画に追いついてしまうから、仕方のない面もあったのでしょう。

「巨人の星」は少年マガジンに長い間連載されていたため、最初の頃と最後の方ではかなり雰囲気が変わっています。他の少年漫画も昭和41年と昭和46年では、様相がガラリと変わってしまいました。昭和44年以降は、少年マガジンにも「アシュラ」や「ワル」など、とても子供漫画とはいえないようなものが連載されていましたから、「巨人の星」に恋愛や結婚の話が入ってきたのも時代の流れで致し方なかったのでしょう。

「巨人の星」の主題歌を初めてテレビで聴いたとき、男声コーラスの重厚な曲で、イメージが狂いました。しかし、慣れるとだんだんいい曲だなあ、と思うようになりました。「お・も・い〜、こ〜んだ〜ら、しれん、の、み〜ち、を〜」の「しれんのみちを」のところと「きょじんの、ほおしを、つかむ、まで〜」の「ほおしを」のところが好きです。(2001.10.10記)

−古い漫画のレコードなど−


                     

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