0戦はやと辻 なおき 作画 |
発行日不明 日本ビクター株式会社 シート1:うた「0戦はやと」 ドラマ「敵空母を撃沈せよ!」 シート2:うた「0戦はやと爆風隊の唄」 ドラマ「敵空母を撃沈せよ!」 うた「0戦はやと」 0戦はやと 作詞 倉本 聴 作曲 渡辺 岳夫 うた ひばり児童合唱団 0戦はやと爆風隊の唄 作詞 倉本 聴 作曲 渡辺 岳夫 うた ボーカルショップ 定価 280円 |
子供の頃は、零戦が世界最高の戦闘機であったと信じていました。しかし、零戦の栄光は太平洋戦争前半の話で、グラマンF6F”ヘルキャット”が登場してからは、さすがの零戦も苦戦を強いられたようです。また、工業力の劣る日本は、最後まで零戦の後継機を登場させることができず、結局、零戦は改造に改造を重ねて終戦まで生産され続けました。また、零戦は最終的には特攻機として使われるなど悲劇の戦闘機でもありました。
さて、「0戦はやと」は「週刊少年キング」に連載されていましたが、「少年画報」では同じ辻なおきの「0戦太郎」が人気漫画でした。「0戦太郎」については正確な情報を持ち合わせていませんが、両者はほとんど同じ漫画だったようです。部隊の名前は、「0戦はやと」が爆風隊で、「0戦太郎」がイナズマ隊?です。「0戦はやと」と同じ頃、「週刊少年マガジン」にはちばてつやの「紫電改のタカ」、「週刊少年サンデー」には久里一平の「大空のちかい」が連載されていました。
戦闘機乗りは、漫画や映画ではかっこよく描かれていて、子どもの頃はあこがれでした。かっこいいけれども、飛行中のトイレはどうするのだろうと昔から思っていました。こういうことはあまり語られないものです。実際には、飛行中の生理現象についてはどうすることもできず、垂れ流しだったようです。飛行中にほとんど乾いてしまったようですが、その臭気は整備員泣かせで、パラシュートなどは使い物にならなくなることも多かったようです。
ゼロ戦という呼び方は、零戦が米国で「ゼロ・ファイター」と呼ばれていたことから、戦後に一般的になったものです。戦時中は、レイシキ戦(零式艦上戦闘機の正しい略語)と呼ばれていました。辻なおきが「零戦はやと」や「ゼロ戦はやと」ではなく、「0戦はやと」とタイトルを付けたのは、「レイ」とも「ゼロ」とも読めるように配慮したためだろうと推測しています。
××式という呼び方は、日本海軍では、大正から昭和の初期にかけては、年号の数字をとっており、一五式飛行艇は大正一五年(昭和元年)に制式採用されたものを意味します。昭和四年からは日本の紀元年号(皇紀)の末尾の数字をとるようになり、九九式艦上爆撃機は皇紀二五九九年(昭和一四年)、零式艦上戦闘機は皇紀二六〇〇年(昭和一五年)、一式陸上攻撃機は皇紀二六〇一年(昭和一六年)に制式採用されたという意味です。なお、「艦上××機」は、空母からも陸上基地からも使用できる機のことをいいます。
零戦××型というのは、原型(一一型)から数えて最初の数字は機体を改造して何回目か、次の数字はエンジンを変更して何回目かを示します。したがって、零戦五二型は、機体改造四回目、エンジン変更一回目という意味です。0戦はやと爆風隊の機は、何型か不明です。
※トイレ、レイシキ戦、××式及び××型の話は、「零戦」堀越二郎/奥宮正武著:朝日ソノラマ新装版戦記文庫を参考にさせていただきました。
零戦、雷電、紫電改、飛燕、隼、鍾馗、二式大艇、屠龍など、みな漫画雑誌の読み物やプラモデルなどで覚えました。当時の漫画雑誌の読み物は戦争物が中心でした。小学2、3年生の頃、散髪屋に戦闘機のプラモデルがたくさん飾ってあり、もの欲しそうな顔をしていたら、おじさんがそのうちの一つをくれました。零戦だったと思います。家に帰ってから、もう一度行くとまたもらえるのではないかと思い、再び店の前でうろうろしていたら、おじさんが出てきてもう一つくれました。陸軍の「鍾馗」だったと思います。細く先のとがった鉄製の棒を熱し、機体に刺して弾痕を作って遊んでいました。(2001.3.30記)
−古い漫画のレコードなど−